いい女
今週のお題「読書の秋」、第2弾。
わたしの好きな作家に江國香織がいる。
初めて読んだのは「思いわずらうことなく愉しく生きよ」で、たしか中学生の時だった。「すげー本読んでるね」と、題名を見た兄に言われたことを覚えている。ちなみにわたしはこの本の表紙がとても好きだ。
それ以降ほとんどの作品を読み、それは高校生の間のことだった。
江國香織の本というと、よく”大人の恋愛”とかいうような文句が書かれた帯がついている。中学、高校生だったころのわたしはまんまとそれを鵜呑みにし、「これこそが大人の恋愛なんだ」「こういう女性こそ”いい女”なんだ」と信じ込んだ。
江國香織の作品に出てくる女性と言えば、性に関して自由奔放であることが多い。「思いわずらうことなく愉しく生きよ」に出てくる育子や治子もそうだ。
それから、浮気やら不倫がめちゃくちゃに多い。「薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木」「はだかんぼう」「がらくた」「真昼なのに昏い部屋」「スイートリトルライズ」あたりがわたしの印象に強く残っている。わ、また不倫か。この二人も”正しい”関係じゃないのか。そんなことを中高生のわたしは感じながら読んでいた。
そうしてわたしの中で出来上がったのがこれだ。
江國作品こそ大人の恋愛=作中の女性こそいい女=性欲に素直な女こそいい女!
常識にとらわれず浮気や不倫ができるくらい、己の欲望に素直で自由奔放な女こそいい女だ!
本気でそう思った。なんなら今でもそう思ってしまっている部分もある。
これは江國香織のせいだ。恋愛について何も知らない中学生に、浮気や不倫を楽しげにする女たちを見せ、これまたそういう女たちこそめちゃくちゃいい女だ、と感じるような文章の素敵さである。歪んだ”いい女”像を抱かせるには十分だった。
まあ、わたしにはそれが本当に歪んでいるのかは分からない。いい女とは、なんて定義づけられるほどわたしは恋愛経験が無い。だからこそいまだにそんな”いい女”像を描いているのだけれど。
ちなみに、性欲に素直ということ以外にも、わたしが”いい女”を思い描くうえで江國香織の影響を受けていることはたくさんある。
肌が白い。骨格がしっかりしている。言葉遣いが上品。胸が大きすぎない、もはや小さめ。気が強い。ただただお洒落。
これらはおそらく、江國香織のなんかしらの作品で描かれた女性の特徴だ。
胸のサイズに関する異論は認める。女のわたしだって胸は豊かな方がなんかいいなと思う、分かってます。
それでも、なのだ。それでも、江國香織から感じたいい女オーラのせいで、作中に出てきた胸の小さい女性を見て「いい女は胸が小さい」とまんまと思い込んでしまう。
恐るべし、江國香織。
わたしが「大人の恋愛」とやらを経験しない限り、この偏った”いい女”像は揺るがないだろう。江國香織の罪は重いのだ。