あたまのなか

22歳、女子大学生の、

これから面接というとき

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これから面接を受ける。

昨日まではあまり実感がなく、今朝目が覚めた瞬間に「今日じゃん」と思った。急に心臓がキュッとなって少し苦しくなった気がした。

めったにこんな機会も無いので、あと3時間で面接というときの自分の気持ちでも書いておこうと思った。

ちなみに就職の面接である。「え、遅っ」という声が聞こえたけれどそこに関しては触れてほしくない。それに、3月解禁の一般的な就活とは違う分野だからあなたが思うほど遅くはないです。

 

さて、想像の相手に言い訳をしたところで。

なんだかよく分からない心の感じだ。「あと3時間で面接というときの自分の気持ちでも書いておこう」なんてさっき言ったくせにそんな書き方あるかよって思う。けど、よく分からないのだ。

落ち着かないかというとそうでもない、緊張していないとも言えない。

何も強い感情がない、という感じ。

緊張も不安も期待も恐れも、そして開き直りも「なんとかなる」も、全部ぜんぶ同じくらいの大きさで在る。どれも弱くないし強くもない。そういう感じ。

 

元々はすごく緊張しいだった。というか22歳の今もそうだ。次は自分の番だ!って思うと心臓がドコドコ動いて汗もかく。些細なことでもそうだ。

それでも、成人するかしないかという頃から、だんだん緊張している自分を客観視できるようになった気がする。心臓のドコドコの中で慌てふためくこともやめて、「いやめっちゃ緊張してるわ」って鼻で笑えるくらいになった。

サッカーの前園さんが言っていたのをよく思い出す。自分は緊張しているって自覚することが良い、だっけかな。

緊張している自分が分かるから、朝から部屋に籠って面接の練習をした。空想の相手に相槌も打った。好きなアイドルの動画も見る。いつも通りに土曜日の空き缶・ビン回収のためのゴミ出しにも行く。

どうすれば緊張がほぐれるかは、だんだん分かってきた。

大人って生きにくいけど、こういうところは生きやすい。

 

まあそうは言ったけれど、きっとわたしはよく分からない気持ちのまま面接を受けに行くし、インターホンを押す直前に緊張し始める。面接中は噛むだろうし、たまに混乱もするだろう。うん。そういう奴だわたしは。

自分はそういう奴だ、と思えることが22年間生きてきた褒美という感じ。開き直ってはいけないけれど、失敗したときの救いにはなる。

全部分かってたよ~、だって今までもそういう奴だったじゃん。

全く誇れないことだけど、今のわたしにはそれが救いだ。

 

がんばってきます

いい女

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今週のお題「読書の秋」、第2弾。

 

わたしの好きな作家に江國香織がいる。

初めて読んだのは「思いわずらうことなく愉しく生きよ」で、たしか中学生の時だった。「すげー本読んでるね」と、題名を見た兄に言われたことを覚えている。ちなみにわたしはこの本の表紙がとても好きだ。「思いわずらうことなく愉しく生きよ」の画像検索結果

それ以降ほとんどの作品を読み、それは高校生の間のことだった。

 

江國香織の本というと、よく”大人の恋愛”とかいうような文句が書かれた帯がついている。中学、高校生だったころのわたしはまんまとそれを鵜呑みにし、「これこそが大人の恋愛なんだ」「こういう女性こそ”いい女”なんだ」と信じ込んだ。

江國香織の作品に出てくる女性と言えば、性に関して自由奔放であることが多い。「思いわずらうことなく愉しく生きよ」に出てくる育子や治子もそうだ。

それから、浮気やら不倫がめちゃくちゃに多い。「薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木」「はだかんぼう」「がらくた」「真昼なのに昏い部屋」「スイートリトルライズ」あたりがわたしの印象に強く残っている。わ、また不倫か。この二人も”正しい”関係じゃないのか。そんなことを中高生のわたしは感じながら読んでいた。

そうしてわたしの中で出来上がったのがこれだ。

 

江國作品こそ大人の恋愛=作中の女性こそいい女=性欲に素直な女こそいい女!

 

常識にとらわれず浮気や不倫ができるくらい、己の欲望に素直で自由奔放な女こそいい女だ!

本気でそう思った。なんなら今でもそう思ってしまっている部分もある。

これは江國香織のせいだ。恋愛について何も知らない中学生に、浮気や不倫を楽しげにする女たちを見せ、これまたそういう女たちこそめちゃくちゃいい女だ、と感じるような文章の素敵さである。歪んだ”いい女”像を抱かせるには十分だった。

まあ、わたしにはそれが本当に歪んでいるのかは分からない。いい女とは、なんて定義づけられるほどわたしは恋愛経験が無い。だからこそいまだにそんな”いい女”像を描いているのだけれど。

 

ちなみに、性欲に素直ということ以外にも、わたしが”いい女”を思い描くうえで江國香織の影響を受けていることはたくさんある。

肌が白い。骨格がしっかりしている。言葉遣いが上品。胸が大きすぎない、もはや小さめ。気が強い。ただただお洒落。

これらはおそらく、江國香織のなんかしらの作品で描かれた女性の特徴だ。

胸のサイズに関する異論は認める。女のわたしだって胸は豊かな方がなんかいいなと思う、分かってます。

それでも、なのだ。それでも、江國香織から感じたいい女オーラのせいで、作中に出てきた胸の小さい女性を見て「いい女は胸が小さい」とまんまと思い込んでしまう。

恐るべし、江國香織

 

わたしが「大人の恋愛」とやらを経験しない限り、この偏った”いい女”像は揺るがないだろう。江國香織の罪は重いのだ。

計画的犯行

 「本 写真」の画像検索結果

 

音楽を聴くと、聴いていた時の感情や情景をそのまま感じられることがよくある。

 

例えば、ゴールデンボンバーを聴くと、彼らにハマっていた高校生の頃の思い出が蘇る。TWICEを聴くと実習の行き返りの憂鬱さが降ってくる。3代目J Soul Brothersのあの、なんとかダンスの曲を聴くと大学に入学した年のどんよりとした気分になる。

 

そっくりそのまま、その曲を聴いていたころにわたしを連れ戻す音楽、すごい。

 

だから、わたしは考えた。

好きな本を読むときに、意図的に好きな音楽をかければ、その曲を聴くたびに最高に幸せな気分になれるのではないか、と!

 

今週のお題「読書の秋」、です。

 

わたしの好きなアイドルのコンセプトに、ヘルマン・ヘッセの「デミアン」が大きく関係しているという情報を耳にした今年の5月、さっそくわたしは図書館に行って借りた。

そしてデミアンを開く前に、それを閃いたのである。デミアンを読むときは必ずなにかひとつの曲を流そうと。

さて、なんの曲にしようか?好きなアイドルの曲でもいいけれど、文字を読みながら耳元で歌詞を歌われたのでは集中できるはずがない。歌詞のないもの、と考えた時に、わたしがクラシックのなかでも好きな一曲が浮かんだ。

 

ドビュッシー 『月の光』

www.youtube.com

 

Apple musicで『月の光』を探したらたまたま辻井伸行さんのピアノが出てきたから、さっそく彼のピアノを聴きながら「デミアン」を読み始めた。

 

もともと読書をするときに音楽を流すなんてのはしたことがなかったから集中できず、結局絞りにしぼったボリュームで聴くことになったのだけれど。

それでも、雰囲気はばっちりだった。

デミアンはすごく精神的な、哲学書のような内容で、頭を動かしながらゆっくりゆっくり読み進める本だった。つまり、わたしのなかで『月の光』のもつ雰囲気と完璧に合っていたのだ。

 

大学の行き返りの電車の中や家で、わたしはゆっくりと読み進めた。

 

そしてある日、わたしは近所の図書館でデミアンを読むことにした。その図書館には小さな庭(雑草しか生えていない)を窓越しに眺めながら読書をすることができるスペースがあった。

その席に座り、例のように『月の光』を聴きながら読み進める。静かな館内で、緑を背景に、耳からは好きな音楽が流れ込む。そんな中での読書、最高に幸せだった。

 

 

デミアンを読み終えてから数か月間、『月の光』を聴くことは無かった。

”好きな本を読むときに、意図的に好きな音楽をかければ、その曲を聴くたびに最高に幸せな気分になれるのではないか”

そういう考えのもと、あえて音楽を聴きながら読書をしたというのにである。

しかし、どこか出かけた先で、たまたま流れた。

「あ、月の光」と思うと同時にわたしが引き戻されたのは、図書館で窓越しに雑草だらけの庭を眺めつつデミアンを読んだ、そのときの情景だった。

内容の難しさゆえに1か月ほどかけて読み、そしてそのほとんどが電車の中だった。それなのに、たった一度訪れた図書館での読書。そのときの情景がわたしの中で広がった。

 

これは予想外!驚いた。

しかし、図書館でデミアンを読んだ時間は最高に幸せだったのだ。

つまり、”好きな本を読むときに、意図的に好きな音楽をかければ、その曲を聴くたびに最高に幸せな気分になれる”という当初の目的、そしてわたしの計画的な犯行は無事成功を収めたのであった。

めでたし、めでたし。

 

 

女子大生のLINE

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この間友だちから聞いた話。

「未読にしたまま放置しておいて、次また用事があるときに既読をつけてメッセージ送ればずっとLINEが続いてることになる」

 

意味わかんないな

 

そう思った。というかすぐに理解できなかった。

たぶんこの文章を読んだ人の9割はわたしと同じじゃないだろうか。

 

上手く説明できる気がしないけれど、解説しよう!

続いていた何気ないLINEのやりとりが、例えば片方が送った一つのスタンプによって終わったとする。あるよね、スタンプ単体送りは終りの合図。

その、相手から送られてきたスタンプに、既読をつけずに置いておく。

そしてそのうちまたLINEをする用事ができたとする。その相手とのトークを開くことになる。

その時、以前送られたスタンプに初めて既読をつけることになりますよね。

そしてメッセージを新たに送る。

=ずっとLINEが続いてた

 

ん~意味わかんないな!!!!

わたしの説明で、意味が分からないということを分かってもらえたら幸いです。

ちなみにこの話をしてくれた友達は、「こういう考え方の友達がいるんだけど、意味不明じゃない?」という感じで話してくれた。そして、まんまと意味不明だった。

 

でもまあ、言いたいことは理解した。つまりあれでしょう、とさらに解説する。

「相手からメッセージが来る→既読する→メッセージ送る」

この流れを「LINEが続いている」状態としたうえで、会話の内容が完全に終了していたとしてもとりあえずそれを未読にしておいて、次の会話の時に「既読する→メッセージ送る」の過程を踏めばそれは「LINEが続いている」状態なわけだ。

(余計分かりにくいだ?そんなの知らん!)

 

わたしが「意味わかんないな」と思うのは、そんな謎理論を唱えてまで「LINE続いてる」と感じたいその子の気持ちだ。わたしからしたら自分を騙しながらLINEが続いてると思いたいようにしか見えない。だって会話自体はとっくに終わっているんだもの。

 

LINEが長く続いてる友達=LINEが続いちゃうほど仲のいい友達

みたいなところ、たしかにある。

「〇〇ちゃんとずっとLINE続いてるんだよね笑」って言われた時、へ~仲良いんだ、って思う。それに、そういうことを話す人はなんとなく自慢げなことも多い。

あとあれ、通話時間をスクショしてSNSにあげるのも同じかな、3時間とかアホみたいに長いの。

ついつい長話になっちゃうほど仲のいい私たち is 最高

 

まあそうでしょうね。仲の良くない人とのLINEなんて探り探りで疲れちゃうし、意外とノリが合っちゃったとしてもそうそう長くは続かない。仲が良くても、返信の頻度とか言葉の選び方によってはもんのすごくストレスになることもあるし。

だからまあ、LINEが続くっていうことは仲がいいんでしょう。

実際に会話が続いているのなら、ね。

しかしその子の場合、実際のLINEの会話は続いてないじゃないか。いやべつに怒っている訳ではないし物申したい訳でもない。ただ疑問なのだ。

 

LINEが長く続くほど仲がいい友達がいる、と思うことで保たれる心の平和があるのだろうか。あるのかもしれない。

 

全然大丈夫なんだけど!?と、間違った日本語でその子に言いたい。

全然大丈夫だ。

別にその子はそんな不安定な思いからその謎理論を唱えている訳ではないかもしれない。なんとなくそういう考え方をする子なのかもしれない。

でももし、LINEが長く続くような友達がいないと!このLINEは長く続けないと!とかいう思いから来るものであるならば、言いたいのだ。

全然大丈夫だ。オールオーケー。

 

わたしはほとんどLINEが続いた試しがない。別に既読無視してしまうとかいうわけではなくて、話を必要以上に広げない。聞きたいこと、決めたいこと、報告したいこと、そういうことを話し終えたらすぐに「ありがとう!」「了解!」とかの言葉とスタンプを送りつける。話を広げる努力など何もせず、頃合いだなと勝手に判断して終わらせる。だからいつも続かない。長くて3,4日だ。

だけど友達だ。気楽に過ごせるいい友達だ。だから思う、人との関係や仲の良さをSNSの頻度で測られてたまるもんか、と。

全然大丈夫なのである。オールオーケー!

 

そろそろ偉い人に怒られそう、「全然」の後は否定語ですよと。

 

甘ったれ

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22歳、大学生となれば多くは来年から社会人だろう。わたしは目指している分野の関係で今まさに就活真っ盛りである。いや、すこし遅めかな。

不足していると盛んに言われている例の職業。具体的には言わないけど。

不足してる、のどから手が出るほど欲しい!

みんながそう思ってるんだと思ってた。そりゃそう思ってるところもあるし、その方が多いかもしれない。でもみんなじゃなかった。

 

えっ目指しているんですか?

たくさんあるうちからわざわざ弊社を!まあまあそれは有難い、、!

 

さすがに大げさだけど、でもそれくらいでもおかしくはないと思っていた。

だけど今日、電話した相手、「あー今年の採用は14日までの応募で締め切ってるんですけど、それでもいいですか?」だって。

余裕あるんじゃん!そう思ってしまった。なんなら学生側が選ぶ立場だし、と思っていたのにがっつり選ばれる立場にいる、と自覚した。

甘くないな、そんなに甘くないよね。忘れてたや、甘くないこと。

こっちが選ばなければ絶対に採用はある。いや今のご時世どこもそうかもしれないけれど。でも、中でも特にそういう分野であることは間違いない。

しかしどこでもいいって訳にはいかないし、条件のいいところ、わたしの理想に近いところ、なんて選んでいくと道も険しくなるわけだ。

 

「いや別にまだ応募できるんでしょ?締め切られたわけでもあるまいし。」

ええ、ええ分かってます。分かったうえで甘くないなーと思ってしまう。

だって甘ったれだから。ぜひ来て!って言われたい。さあさあって招かれたい。

でもそんなに甘くはなかったな。

 

 

前に友達に「わたし、怖い大人きらいなんだよね。」って言った。

そしたら友達は、「えーそんなんで来年から大丈夫なの笑」って言った。

わたしは思いました、

いや大丈夫だわ!ただきらいなだけで逃げ出しはしない強さはあるもん!

 

自分の弱さとか甘さを出して、それが生きていくうえで幼稚だったりすると「そんなんで大丈夫?」っていう目を向けられる。よくある。特に大学生、よくある。

社会人がよくそういう目をする。

社会人ってそんなにオールオーケーじゃないでしょうに。初めて会う人とか大きな仕事とかに対して、うわ~って思う時もきっとあるでしょうに。その割に大学生には「そんなんじゃ社会人やってけないぜ」みたいなこと言う。

 

たしかに甘くて弱いところもあります。

でもそれとは別に、その弱さのせいでダメダメになっちゃわない強さもあるよ、と思う。へこたれない強さもちゃんとあるよ。

もちろんそれはいつもじゃないし、その弱さのおかげでダメダメになることもありますけど、でもべつに大丈夫だよ。まったくもって大丈夫。そう思う。

 

わたしのなかのひとつの甘さを指して、この先の未来まで占わないでほしい。

 

でも甘ったれだよね、分かる、それはそう。

そして社会人もいろいろ大変なんでしょう、分かります。

甘ったれ、就活がんばる。良いところに行く。自分との約束。

 

今夜はキムチ鍋です。

冷たい雨によく合いそう。

くつろぎたい

昨日ブログをはじめてから知った、「今週のお題

えー楽しそう!と思ったし、飽きやすい私にとって毎週与えられる自主課題みたいなのは嬉しい。ということで、できるだけ毎週書いてみたいと思う。

それに、与えられたお題について意識的に考えてみて言葉にするのって楽しそう。

そんなこんなで、

 

今週のお題「リラックス」

 

リラックスといえばこんな色が頭の中で浮かんだ。

大人の休日クラブ(親が会員になってる)とかゆこゆこ(これも親が)の冊子ってこういう色のイメージありますよね、ないかな。あと選べるタイプのギフト本とかもそう。

 

わたしがリラックスと聞いて思い浮かべたのは、日帰り温泉と家。

 

日帰り温泉について

日帰り温泉は家族でよく行く。本当によく行く。

えっ女子大生がそんなしょっちゅう家族と行くのか?と思われそうだけど、悲しいことにそんなに予定が詰まってるタイプの大学生ではないので普通に家族とよく出かける。

そして日帰り温泉に関してはもう毎週末行く。家から片道1時間の範囲にある3つの施設を順番に。

 

温泉っていい、サウナも最高!

わたしはイイ女に憧れてしまうところがあるから、なんかこう、身体をじんわり温めて?汗を流して?いい香りに包まれて?ってイイ女っぽいじゃないですか。実際どうなのかとか別によくて、自分の身体のためにそういう時間をもつ、っていうのがイイ女っぽくわたしには感じるんだろうな。

でも、イイ女とか抜きにしても日帰り温泉で過ごす時間はほんとうにリラックスそのものだと思う。裸でお湯にとぽんと浸かるなんて言葉だけでも至福なこと間違いない。

うん、日帰り温泉は最高。

 

そして、家。

家がリラックスの場所になるかどうかは人によるよなあ、といま思った。家に帰りたくない人もたくさんいるだろうな。

わたしは家族の関係もそこそこいいので家に帰りたくないと思ったことはたぶん無い。あってもせいぜい母親と揉めてるとき限定のものだし、そんなに長引く喧嘩はまず無い。それが良いのか悪いのかは分かんないけど。

とりあえず家はわたしにとって心地いい。実際のところ家では親とは互いに空気のように、良い意味で空気のように過ごしているからこそ居心地がいいんだろうなと思う。

部屋着で、スマホいじったり本読んだりして、たまにうたた寝したりするの最高。

 

くつろぎたいんだな、わたしは 

 

やりたいことはやってみることにした

はてなブログ

気になってはいたけれど、まあいいかと思ってやらずにおいていた。

まあいいか、っていうより

わたしふつうに日記つけてるしブログやる意味ないよな、やってみたいけど

すぐ飽きる未来が見えるな、やってみたいけど

やらなくてもいいものだな、やってみたいけど

そんな感じでたまに覗いてはやめるを繰り返していた。

 

 

卒業論文を書こうと思って立ち上げたパソコンで、またはてなブログを開いた。

22歳、女、大学生

超のつくほど平凡な自分。

だけどわたしだっていろいろ考えてることあるし、日記にペンで書くほどのことでもないことをここに書いたらいいんじゃない?とふと思ったのが今日。

また浮かぶ「やらなくてもいいんじゃないのコレ」

それでもいまこうしてブログを書いている訳は、友達のツイートにある

 

やってみたいことはぜんぶやってみよ、続かなくてもいいや

 

続かなくてもいいか、そっか、と思った。

というわけでブログをはじめた!

 

mono_22っていう文字にわたしを隠して

わたしの頭の中のとりとめもないことを書いていこうと思う。

なんか洒落た文をがんばって書こうとしてる感が否めないけど、どうしたらいいか分からないからこのままにする。